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第65号 不定期通信『②代目の独り言』

◆小林 正観さんの教えより◆

第65号:2024.夏

『②代目の独り言』 第59号 : 2023.冬  ● カノン ♪ ● で、日々を構成している日常は、「相対的」で「二元論的」だと記しました。要領よくできただの、失敗しただの、勝っただの、負けただの、得した、損した、早い、遅い、・・・。 一方で、人生を振り返って俯瞰すると大切なものが見えてきて、そんなものはどうでもよくなってくるという気づきを書きました。

 

関連して、YouTube(ユーチューブ)で、小林正観さんという方の講演会を聴いていて腑に落ちたことをシェアしたいと思います。ちんぷんかんぷんだと感じたら、私②代目の独り言にすぎないので、気にせずにスルーしてください。

輪廻転生について知らない人は、知ろうとしないで否定しかしなかったら、伝わりにくい内容かもしれません。

 

 私たちは生まれる前に、この世で何を学ぶかというテーマに沿って、どんな人生を送るか自分でプログラムして生まれてくる、という正観さんの話に対し、質問者が、凶悪としか言えないような犯罪も、学びのためにプログラムしてやっているのですかと尋ねます。正観さんは答えます。

 

質問の中に、起きた事件が悪いことだという概念がありますよね。良い悪いということは宇宙にはないみたいです。良い事悪い事・成功失敗・勝ち負け・ということはないみたいです。

・・・中略・・・

だいたい今日集まっている方は9万6千回の生まれ変わりのプラスマイナス2千ぐらいの誤差の中にいるんですね。9万4千回から9万6千回くらいの人です。・・・(中略)

実は3千回とか4千回とか人間になりたての頃に、私たちは全員殺人者であった、物取りであった、強盗であった、詐欺師であった、自分が食べるために人を蹴落として崖の下に突き落としてその人の持っているパンを奪ったことが何十度とある。

私たちは人の犯罪を裁く権利はどこにもないんですね。私たちも前世ではそうだったんです。たまたま生まれ変わりの回数がここまで来たから、私は今しないと思っているだけであって実は全員通り過ぎてきた。いけない人いけない事なんてのはどこにもない。私たちは今、通り過ぎたから人を糾弾できるような錯覚に陥っているけれども実は違います。おんなじことをやってきている。ただ学ぶためにそれをやってきている。

きょう話した話というのは、社会現象にこういう人がいるじゃないか、こんな嫌な現象があるじゃないかと言いなさいと言っているんではなくて、私がどう実践をしながら生きるかということだけなんですね。・・・(中略)

不幸であるか悲劇であるか、ひどいことであるかっていうのを、指で指して決めて論評して評価をすることには、何にも意味が無いんですね。その現象を見て私が何をするかだけなんです。それを神は私の問題として問いかけているそれだけです。

この現象が宇宙的に正しいのか正しくないのかということを言っているのではない。どんなことがあってもそれに対して私がどう考えるかなんです。空き缶を捨てる人がいる、そうしたら私は空き缶を捨てない人間になろう、タバコを捨てる人がいる、私はタバコを捨てない人間になろう、そう決意をするために神は目の前にその現象を見せているんだ。

だからその神戸の事件があってこんなひどい事件があるじゃないか、ひどいかどうかは置いておく、とりあえず自分が人を殺したくなるようなことがあっても絶対にしないぞって決意をすることが宇宙や神から私たち一人一人が問われていることなんだと、これが良いか悪いか人差し指で指し示すことではないんですね。

 

いかがでしょう。起こることはすべて「中立」で、起こったことをどう捉えるかで変わってくるというのは、精神世界でよく言われていることです。自己啓発ではポジティブシンキングを求められますが、私には合いませんでした。何でもポジティブに考えるのは不自然な気がするときもあって、疲れて長続きしませんでした。

 自己啓発から進んで精神世界の探求で学んだのは、ジャッジしない、良いとか悪いとか判断しないで、淡々と生きていくという生き方です。ミーハーな私にとってはすごくカッコイイ生き方なのですが、気に入らないことがあるとすぐにカチンときてしまう性格なので、良い悪いといった二元論に陥っていることによく気づかされます。

 でも、いろんな人のものの見方を学ぶと、そんなときはこういうふうに考えたらいいのかと、自分の引出しが増えてきました。以前なら凹んでいたようなことも、まっいいかと考えられることが増えています。

 ご紹介した正観さんの話は、輪廻転生がベースにありますが、いろいろ学んできて、生まれ変わりには何の疑いも持たなくなっているので、すごく分かりやすいです。ネガティブにジャッジしてしまうようなことも、とりあえず置いておいて、それに対して自分はどう考えてどうするのか、どう在りたいのかという在り方が問われています。批判や論評をせずにとりあえず置いておくというところがシンプルで、それでは自分はどうするのかという、次の自分に集中して移れるところが大好きです。

 この世は二元論的なことが多い世界ですが、悟りを開いた賢者のように、何が起きても飄々(ひょうひょう)と生きていきたいと思いませんか。

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。