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第56号 不定期通信『②代目の独り言』 気づき

Facebookで見つけたメッセージ (原文まま)    

 

【「苦」の本質は?】 「自分が思い通りにしたいのにそれが叶わないこと」

と釈迦は見抜いていました。

 

 自分の思いどおりにならない場合、西洋的な価値観では人の何倍も努力をして自分の思いが実現するまで頑張りなさいと教え込みました。現代の日本の教育はほとんどがそこに立脚しています。

しかし体をこわしたり精神を病んだりする人が多くなり、自分の人生が何のために存在するのか分からないという人も増えてきました。 

人は抜きん出なければならない、上に上がらなければならないと思い込まされている、ということに、そろそろ気づいたほうががいいかもしれません。

 人は何のためにこの世に生まれてきたかというと、喜ばれる存在になること。

人間の間で人の間で喜ばれる存在になること。そのためにこの世に生を受けました。

思いどおりにならないことが目の前にある場合に、西洋文明的な解決方法とは別の方法があります。

それは「思い」そのものをもたないこと。悩み・苦しみとは「思い」を持っていて、その思いどおりならないことを思い通りにしようと思うから生ずるのです。従って、悩み・苦しみは受け容れた瞬間から消滅するのです。

生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れる。そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。悩み・苦しみを持たなくて済むことができます。宇宙に、地球にすべてを委ねている人、静かに淡々と暮らしている人ほど悩み・苦しみは少ないのです。

 釈迦が言った「受け容れることで楽になる」ということは、突き詰めていくと感謝するところまでいくということになるのではないでしょうか。今、置かれている状況そのものが、実はありがたさに満ちているのではないでしょうか。

目に見えること

耳に聞こえること

呼吸ができること

食べることができること

自分の足で歩けること

話ができること

 

ありとあらゆることを全部受け容れた瞬間から感謝になるのではないでしょうか。                         - 小林正観‐

蔵書から抜粋したメッセージ (アンダーライン ②代目)

 

・・・(中略)

 人生の状況を「イエス」と受け入れるなら、「いま、この瞬間」をあるがままに受け入れるなら、自分の内面に、あたかも「空間」ができるような感覚を覚えます。そこには、えもいわれぬ、深い平和があります。

 

 心の表面では、いまだに「晴れた日には幸福」で、「雨の日にはブルーな気分」かもしれません。「100万ドルの宝くじに当選して幸福」になり、「無一文になって不幸」になるかもしれません。けれども、幸福にしても不幸にしても、もうそれほど深刻ではなくなります。それは、わたしという「存在」の水面に描かれる波紋のようなものです。あなたの内なる平和は、外的状況によって、ゆさぶられることはありません。

 

 どのような経験も、いずれは過ぎ去るということ、そして、この世は何一つ永遠に価値あるものを与えてくれない、ということに気づいたとき、放下は、驚くほど簡単になります。放下をした後も、あなたはたくさんの人に出会い、経験や活動を共にすることになりますが、そこには、エゴ的自己による欲望や、恐れは存在しません。これは、別の表現をするなら、状況、人間、場所や出来事が、自分を満足させなければならない、幸福にしなければならない、という執着心がなくなる、ということです。不完全であり、過ぎ去ってゆくという性質を、コントロールできないものとして、すんなり受け入れるということです。

 

 人、場所、状況や出来事に、無理難題を要求しなくなったとたん、不思議なことに、それらは、あなたにとって満足のいくものに変化していくだけでなく、より調和のとれたものに、より平和なものになっていきます。これが受容の心が起こす「奇跡」です。

・・・(中略)

「『いま、この瞬間』を楽しみなさい。幸福になりなさい」。ここでわたしがいわんとしているのは、そういうことでしょうか? 違います。

 

「『いま、この瞬間』を、そのまま放っておく」。ただ、それだけで十分なのです。

・・・(中略)

「どうしてわたしがこんな目にあうの?」。もはやこの問いかけをしなくなったとき、「手放し」が起こります。

 

- 世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」 エック・ハルトトール著 徳間書店 -